ハーブ |
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ハーブな生活・・・・スローライフハーブに恋をしてしまったある女の ハーブな生活の一端を紹介いたします。 ハーブな生活をとうして 自然や地球環境のこと 考えさせられました。 未来の子供たちのために 今 やらなければならないこと たくさんありますが できることから始めようと思っています。 あなたもハーブな生活 してみませんか。 |
| ハーブに思いを寄せて というより 恋焦がれて もう何年になりますでしょうか。 手の指で数え始めましたら 何往復もしなければならず もういやになってしまいます。 飽き性のせいでしょうか それとも 好奇心旺盛 ということなのでしょうか。 新しい事に 次々と 興味が移り お仕事や 住む所 など 目まぐるしく 変え続けていましたのに 相も変わらず 恋心を持ち続けていたのは ハーブ だけ でした。 嫌なことがあった時 いつも ハーブのことを思うだけで 心がやすまるのでした。 今風(いまふう)に言いますと 癒(いや)される というのでしょうか。 「では どんなハーブがお好きだったの カモミール、それとも ラベンダー?」 などと 聞かないで下さい ね。 私の青春時代 ハーブは 日本にはなっかったのです。 シェイクスピアの物語や ギリシャ神話や 歌や詩や童話の世界の中でしか 見ることが できなかったのです。 こんなに寒くて悲しい夜、もしも一杯のカモミールティがあったなら 心も体も暖まり やさしい気持ちになれるのでは と そんなことを想い 想像の中で 香りを嗅ぎ そうすることで 安らぎを覚えていくのでした。 何と 単純な 精神構造。 そうです。 あの頃はほんとうに単純でした。私も社会も。 大量生産、大量消費、そして大量廃棄。 効率、経済性のみを追求し、物、物、物、 あふれんばかりの物に囲まれ、 豊かな気分を満喫???し、 科学の勝利に酔いしれていた これが私の青春時代の始まりでした。 一方で ベトナム戦争の反戦運動の中から、アメリカやヨーロッパで広がり始めた ヒッピーたちの 「自然に帰れ」 という運動の中で その シンボルとして かつぎだされたのが ハーブたちでした。 近代にはいり、科学の名のもとに 追いやられていたハーブたちが 見直され始めたのです。 サイモンとガーファンクルの「スカボローフェアー」という歌の中で くりかえし出てくる「パセリ、セージ、ローズマリー、&タイム」のハーブたち。 このフォークソングは16世紀から イギリスで吟遊詩人たちによって歌われ続け 反戦と愛の象徴として ハーブたちが 歌い継がれてきたのでした。 この歌のもとの意味は 諸説紛々 魔女界の呪文とかも言われたりして いまだに定説はありません。 なにせ 300年も歌い継がれてきたものですから 途中で歌詞やら意味やら変わってしまうのは しかたないこと。 マザーグースの中にも この詩は 書かれています。 ただ 当時(1960年代)の若者たちが この歌に反戦、平和、と愛の意味をこめて 口すざんだのは事実です。 怒涛のように押し寄せる 大量消費の波 片方では 自然に帰れ と静かに訴えるハーブたち。 そのはざまで立ちつくしていた 青春時代でした。 現物を見る事も 味わうこともなく ただ 空想の中でのハーブは わたしにとっても 愛と平和と安らぎの シンボル。 青春時代って 混沌という 渦の中にいるようでしたわね。 いろんなことが 私の周りで 渦巻いて でも つかもうと思っても また あっという間に 手から するっと 離れていってしまうのね。 渦の中で ただ もがいているだけ。 滑稽ですね。 でも これからが もっと滑稽に生きていく事になるのよ。 そのあとは ただ ただ 働きました。 あの時代 日本ではいくらでも仕事はありましたから。 どこも 人手不足 夜も休日も 仕事優先。 豊かさだけを夢に見て ただ ひたすら 仕事、仕事、・・・ 今 思い出しても 滑稽なほど よく働きましたね。 毎日 真っ白のご飯が食べられるようになりました。 (普段は麦飯、あの当時の総理大臣が言っておりました。 「貧乏人は麦を食え」 と ハイハイ 言われなくても 麦飯でしたヨ。) 毎日 卵が食べられるようになりました。 (卵は病気した時だけ食べられる 高級品でした) ケーキだって 毎日食べられるようになりました。 自動車だって 買えるようになったのです。 夢の世界が実現し もう世界はバラ色・・・ 豊かになったこと 否定はいたしません。 科学が発達したこと 否定はいたしません。 得たものも多いですが 失ったものもあるのです。 豊かになったからこそ やっと気づいたことがあるのです。 でも 物ではなく 心の豊かさこそ ほんとうの豊かさだ などと 知った風な口の聞き方は いたしません。 飢えて 明日にでも命が危うい子供に向かって 「物ではなく 心の豊かさが 大事ですよ」 などと 洒落たこと 言えますか。 ハーブは わたしの日常生活の中で 少し心が豊かになれるトッピング のようなものだったのかも知れません。 ハーブは今では誰もが知る存在になりました。 どこでも手に入るようになりました。 少し流行りが収まったようにはみえますが 当初は 癒し のブーム に乗っかり 似非ハーブも だいぶお目見えしたようで 香りがすればハーブ とか 合成の香りをつけて ハイ ラベンダー とか そんな ハーブもどきも ずいぶんと 登場いたしました。 ハーブのブームは 簡単にハーブそのものが 手に入りやすくなった という 利点はありますが ハーブの本質がゆがめられてしまった という欠点も でてきました。 ハーブのブームよ 早くおさまって! という 本来の願いとは 逆の願いをしなければならなくなってしまいました。 ひたすら ハーブに恋焦がれてきた私としましては ハーブを 金儲けのネタにするなんて・・・・ とんでもない ことだったのです。 ハーブはお店で買うものでは ありませんよ。 ハーブは自分で育てて 使うものです。 おばあちゃんから 母へ 娘へと 育て方や 使い方を 口伝えで 伝えていくものでは ないのでしょうか。 薬効や麻薬的効果のあるハーブは 祭祀の小道具としても 利用され 非科学的と今ではいわれていることも 当時の 人の営みの中では とても重要な役割を はたしてきました。 カンナくずに合成の香りをつけて 「はい ハーブ」「はい ポプリ」「はい アロマ」・・ これは 違います。 以前 ハーブが欲しい というお友達に ミントの苗を 小さいポットに入れてさしあげました。 彼女は 一ヶ月ほどして私のところにやってきて 怒ったような顔で 「一体何よ アレ 棚においておいたら だんだん黄色くなって 植物みたいに枯れたように なってしまったじゃない ほんもののハーブを頂戴よ」 「水はちゃんとあげたの?」 と 私。 「どうしてハーブに水などあげるの? まるで 植物みたいじゃないの。」 「そうよハーブは植物なのよ」 と 私。 それを聞いて 唖然とする彼女。 (10何年前の話ですが ほんとうの話です) そうなんです。 ハーブは生きているのです。もの では ないのです。 昔は 恋人でした。 今は子供のように 愛おしいのです。 <スローなライフ、 シンプルなライフ、ちょっと不便なぐらいがちょうどいい。> これが今の私の目標とする生活スタイル。 やっと たどりついた という感です。 ハーブを とうして 考えさせられたこと つれづれなるままに 綴ってみました。 ![]() |
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